| 福島 |
きょうはありがとうございます。さて、米国で民間人を標的にしたテロが行われました。加藤さんは、この問題をどうお考えになりますか。 |
| 加藤 |
テロリズムというのは絶望的なことだと思うんです。テロリズムで相手側の政策が変わったという例はほとんどないんじゃないですか。米国の政策の押しつけに反発をしてテロリズムをしても、何も達成されないと思うんです。
ただ、テロリズムでなければ何だというと、黙って座ってあきらめるよりしようがないということになる。だから自滅・自殺的な攻撃というのは絶望的自己表現の最後の手段なんじゃないかな。何かを達成すると言ったって、もう死んじゃっているから何も達成されない。ただ存在証明みたいなもの、あるいは恨みの表現、そういうこと
じゃないですかね。
もう一つ、テロは秘密で不意打ちにやるわけでしょ。一番成功するのは相手が無防備な市民の場合。偶然市民を巻き込んだのじゃなくて、市民が目標だということは根本的なんじゃないですか。
テロリズムが軍事施設に向かうのは例外です。だからテロリズムをいくらやっても相手の軍事力をたたくことにならないし、軍事力を温存した政府が、テロリズムに屈して政策を変えるということはほとんどない。結局相手にこちらの意思を強制する手段としては弱いわけです。だから、絶望的な手段だと思うんです。
根本的な問題は、世界にたくさんの紛争があって、紛争の一部はパレスチナ問題みたいに非常に解決困難で、暴力を伴ってずっと続いている。イスラエル側もアメリカ側も武力で圧力を加えたり、交渉に影響を与えたり、自分に有利なように話を持ってこようとしたりすることは当然のことですが、ただ相手に出口がないままで押し詰め
ると危ないと思うんです。話し合いをすれば強いほうが有利なのは当然だけれども、しかし、話し合いの可能性が開かれているということが大切だと思います。まったく絶望だと話すことは意味をなさない。時間の無駄だというところまで押し詰めると、最後の手段としてテロリズムが出てくるのだと思うんです。
だから、テロにどういう対策がありうるかというと、話し合いの道を開けることだと思う。同時にいろいろな警戒はもちろんする。報復をやると、また大勢死ぬでしょう。恨みが多くなる。 |
| 福島 |
ベトナム戦争以上の泥沼化になるのではないですか。 |
| 加藤 |
ベトナム型になると思います。湾岸戦争よりひどいです。湾岸戦争はイラクによるクウェートの占領で始まった。もっともイラクは独立国を占領したのではなく
て、クウェートはもともとはイラクだったわけです。それを英国が石油利権のためにつくった。そういうことは言われないで、ただ「隣国に侵入した」ということになっ
たわけです。しかしそれでも形式的には明らかな侵略。しかし今度はそうじゃない。侵略と言ったって、攻撃と言ったって、だれがしているんだかはっきりしないわけで
すから。 |
| 福島 |
ブッシュが「これは戦争だ」と言っていることがよくわからない。 |
| 加藤 |
そうですね、「戦争」という言葉もはっきりしない。相手がわからない。 |
| 政府は報復賛成、国民は反対どの国も意見がねじれている |
| 福島 |
どの国の政府も「アメリカを支持する」とすぐ言います。一方で市民は「戦争はいやだ」と思う人が多い。パキスタンだって「パキスタンをアメリカに貸すのはいやだ」とみんな言っている。
でもNATO軍や、イギリス、ドイツなどはすぐアメリカ支援を打ち出します。あれはいったい何なんでしょうか。 |
| 加藤 |
直接の要因はNATOでしょう。米国はNATOの一員だから。NATOの司令官は長い間ずっと米国人だった。もし反対するとNATOの組織全体が揺らぐということになるんです。NATOがグラグラになればヨーロッパにとっても問題が出てくる。そしてNATOが揺らいだときには、米国からヨーロッパに対しての圧力はもっと強くなると思います。NATOのなかに米国がいるということは非常に大事な、ヨーロッパにおけるアメリカのプレゼンスの問題でしょう。それを根こそぎということになると、アメリカ側の抵抗は強くなると思います。日本ほどでないと言っても西欧諸国は経済的・軍事的に米国依存度が高いですから。
比喩的に言えば、米国が不機嫌になっても致命的な問題にならない、という限りでは別の意見を出してくると思うけれど、真っ向から米国の利益に衝突することはできないということじゃないですか。今度の場合は、軍事的な報復をすることに対して、ヨーロッパは歓迎していないと思うんです。だって、だれに報復するのかわからないのだから。 |
| 福島 |
しかも、相手側は憎むだろうし。 |
| 加藤 |
倫理的には、テロはまったく関係のないアメリカ国民を何千人と殺した。しかし爆撃すればアフガニスタンの市民をたくさん殺すことになるでしょう。 |
| 福島 |
子どもも死ぬ。 |
| 加藤 |
攻撃の倫理的な正当化が困難になっていると思います。だから、ヨーロッパ側はあまり望んでいないと思うけれども、しかしアメリカは「これはアメリカに対する宣戦布告だ」と言うわけでしょう。アメリカが戦争中だということになると、正面から支持しないとNATOが壊れることになりますからね。アメリカを支援すると言っておいて、なるべくかかわらないほうがいいと、ヨーロッパ側は思っている。 |
| 福島 |
アメリカに頑張ってもらう。 |
| 加藤 |
そういうことだと思いますね。
アラブの国も大体そうです。政府は対米利益で、アメリカの言いなりになる。しかし国民は支持していない、反対だというのがあるんじゃないですか。政府が米国の戦争を支持しているということは表面上の問題です。国民がどっちを向いているのかということは大事な問題で、それを理解しない限り、なぜアフガニスタンやパキスタンでビンラディン氏を支持しているかということはわからない。 |
| 福島 |
報道では、多くのパキスタンの国民は、パキスタンがアメリカ軍の駐留を認めることには反対と言っていましたね。 |
| 加藤 |
アフガニスタンの難民がたくさんパキスタンに入っている。パキスタンは「アフガン征伐万歳」と言うわけにはいかないです。米国の圧力があるから、政府の言い分と、国民の言い分との食い違いが大きい。政府は国内の安定上、国民がどっちを向いているかということを考慮しないわけにはいかないから、「なるべく少しコミットする」という形になるのではないかしら。 |
| 白紙委任した小泉総理はアメリカに従属している |
| 福島 |
日本は、今回の戦争にどうコミットするかというより、今回のことを奇貨として有事法制づくりとか自衛隊法の改正、周辺事態法のガイドラインの改正、日本国内の立法化をよりやろうと。 |
| 加藤 |
そうでしょうね。湾岸戦争のときに、私はヨーロッパにいたんです。日本に帰ってきて一番驚いたことは、日本の議論は初めから「湾岸戦争が近づいてくる」「いかにして日本が協力するか」なのです。そのときにイラクを中心とした中近東問題を、「日本はどういうふうに解決することを望むのか」「どういうことが一番望ましい解決だと考えるのか」ということの議論は日本にはなかった。 |
| 福島 |
「お金の協力か」「人の協力か」。 |
| 加藤 |
フランスでの議論は、「フランスがどうするか」という前に、「イラク問題はどう解決すべきか」ということの議論があって、さて、その望ましい解決方法を取るためには「フランスには何ができるか」となる。いきなり「フランスに何ができるか」ではない。
日本は、問題をどう解決するかということはアメリカに任せて、アメリカが一番強硬な手段をとったときに、それに対してどういう協力をするかということを議論していたと思うんです。
今度の場合も、日本の意見があっていいはずだと思うんです。それを考えて、その次に、日本には何ができるかということになるべきだと思います。米国が爆撃したら「日本は後方支援するのか」「どこまでするのか」という議論ではなくて、まず最初に「テロリズムを抑えるにはどうしたらいいか」ということを議論すべきだと思う。 |
| 福島 |
やはり中東和平交渉の再開ということですね。 |
| 加藤 |
そうですよ。実行の可能性を別として言えば、日本政府はアメリカと同盟関係にあるのだから、自分の考えを進言するというか説得をすべきでしょう。それが成功するかしないかは別にして「こういう解決が大事だ」と。 |
| 福島 |
小泉さんは「報復を全面的に支持」と言って、白紙委任なんですよ。 |
| 加藤 |
ではどうしたらいいか。まず普通の状態に少しでも返す。そもそもテロリズムはまずいことだから、いかにテロリズムに対処すべきかということを言って、さて、いろんな手段があるし、必ずしもお互いに排他的ではないから、いろんな手段を同時に並行して講じられる。そういうときに日本には何ができるか、というふうに話を進めていくのが正当なことだと思います。アメリカへの白紙委任状というのはアメリカ
従属の一番の問題です。 |
| 福島 |
ローマ法王も言っていますよね。 |
| 加藤 |
バチカンも強制することはできないし影響力にも限りはあると思うけれども、意見を言っていますよ。日本も言うべきだと思います。政府が言わなければ、日本のなかから出す。それは日本の国会もそうだし、国会ができなければ国会議員でも。それから市民が意見を出すべきだと思います。日本のなかにたくさんの意見があって、白紙委任ではなくて、報復しないほうがよかろうという考えが強くたくさんの人のなかにあるということを知らせるべきでしょうね。
もう一つは、米国が報復をして、泥沼化する可能性が大きいと思います。そうなると米国のなかにもいろいろ意見が出てくると思います。そのときにアラブ、イスラムの世界の外にも、日本や諸外国の市民運動など批判的な考え方がたくさんあるということは、アメリカ人が、アメリカ政府を批判するのにいい材料になると思うし、彼らを力づけると思う。本当にアメリカ政府の政策が変わるのはその力だと思う。ベトナ
ム戦争がそうでしょう。日本も反対だし、いろんな国が反対して、それがアメリカのなかの批判運動に反映して、それがだんだん高まってきて、ある限界を超えたところで、政策が変わる。幸いにしてまだ米国のなかにそのような民主主義がある。 |
| 人間の生命は絶対的な価値 |
| 加藤 |
福島さんたちは死刑反対の運動をしているでしょ。 |
| 福島 |
ええ。 |
| 加藤 |
政府がやる殺人は合法的です。政府がやる合法的な殺人は二つあって、一つは死刑で、一つは戦争。どちらも政府の法律的な枠のなかで行う。正当化されている殺人行為です。その意味で死刑反対だという論理を伸ばせば戦争反対になるし、戦争反対の論理を伸ばしていけば死刑反対になると思うんです。 |
| 福島 |
似ていますよね。 |
| 加藤 |
あらゆる殺人は望ましくない。ただ例外は死刑だ。その例外を壊すことは非常に大事だ。死刑に反対すれば人を殺すことを正当化する論理はないということですからね。それは非常に大事だ。 |
| 福島 |
カッとなって殺すのもよくないけれども、死刑は国家が計画的、冷静に法に則って、それこそ合法的にやるわけです。考え方を変えれば、なくすことができうるわけです。戦争や死刑が何か抑止力を生むとか、いいことを生むとはとても思えないんです。 |
| 加藤 |
死刑をやめると凶悪犯罪がふえたというデータはないでしょ。 |
| 福島 |
データはないんです。 |
| 加藤 |
抑止力がないとは言わないけれども、死刑には凶悪犯罪への抑止力があるという何らの客観的証拠はない。あるかもしれないし、ないかもしれないし、どちらにも証拠はまったくない。だから、疑わしきは罰せず。 |
| 福島 |
六月二七日にヨーロッパ評議会が死刑についてまる一日議論しました。
実は、EUに加盟するためには死刑を廃止しなくちゃいけない。オブザーバーの資格を持っている国はバチカン、カナダ、メキシコ、日本、アメリカの五カ国ですが、バチカンとメキシコとカナダは死刑を廃止しています。死刑を廃止していないのは日本とアメリカだけです。
ヨーロッパ評議会の議員総会で、二〇〇三年一月一日までに日本とアメリカが死刑を廃止または停止の前進が見られない限り、オブザーバー・ステータスを剥奪するかどうかについて議論をする、という決議まで出ているんです。韓国はいまからオブザーバー・ステータスを取得するために死刑を廃止しなければならない。
ヨーロッパに行くと、「エーッ、日本って死刑があるんですか。なんと野蛮な」みたいな、死刑と市民社会は相入れないという議論があるのに、日本だと「もっと死刑にすべきだ」という議論が出てきて、別世界に行ったような感じです。
独裁国と死刑とはものすごく親和性がある。民主主義国であるということは、死刑を廃止していく方向に行くのだと思うのです。だとしたらアメリカっていったい何だろう、と思います。アメリカは民主主義の国のなかでも「力は正義だ」という国なのかなあ。 |
| 加藤 |
要するに殺人は正当化できないということですよ。死刑は、突発的に前後がわからなくなってやったということではなくて、非常に冷静にやる。冷静にやるということは、殺すことが正当だという主張を含んだ殺人でしょう。殺すことは正当じゃないということを徹底しなければいけない。
どうして殺すことはいけないのか。私は人権の基本的問題は生存権だと思うんです。ではなぜ生存権は基本的か。もし生存を否定してもいい、ある場合には生存の否定が正当化されるということになると、つまり生命の価値は絶対的じゃないということになると、価値は相対化されます。確かにいろんな文化があって、いろんな時代があって、価値観は変わっていきますから、絶対的な価値はないという考え方がだんだん広がってきているわけです。ところが、みんな相対主義にすると、何をやってもいいということになってしまう。
価値の絶対性、どうしても客観的にこの価値は守るという、だれでもそれを承認すべきものがほしい。
価値が相対的であるから、人の価値を認めなければならない、私の価値も認めてもらいたいということが、大事な、ある意味で進歩だと思います。
しかし他方で、他人にもこの価値を認めてもらわなければならないという動機がないと、本当にその価値にコミットすることはできない。どうしても価値の絶対性は必要だというので、非常に緊張関係があると思うんです。
すべての人間社会における価値は生存権だと思うんです。もし殺してもいいと一遍認めちゃうと、人間の生命は絶対的な価値ではないということになる。自由をはじめすべての価値は生存を前提として成立するでしょ。生きていなければ自由ということはない。生存を前提としない価値は一つもないわけです。出発点として、基礎として、これは動かせないという価値を持っている必要がある。それはどうしても生存だと思います。
人間の生命というのはそういう意味で社会的な要請だと思うんです。生命の価値を絶対化するというのは本当の普遍的なものだ。人権はたくさんあるから、どうしても普遍的であるということを主張できる価値は生命だと思うんです。
それから、非常に凶悪なやつだから、これは牢屋に入れてもしょうがないと。そのしょうがないのが、ある時間が経ったときにどういうふうな人間で、どういうことがその内心に起こっているかということは、本当はわれわれはわからない。これはつまらない男だと決めることは、だれにもできないと思いますよ。それは傲慢だと思う。それが死刑に反対するもう一つの理由だと私は思うんです。 |
| 福島 |
自分が殺されたとか、自分の家族が殺されたから、イコール相手を殺してもいいと、やっぱり思わないんです。考えてほしいとは思うけれども。つまらない男だと思うかもしれないけれども、じゃあ殺していいとは思わない。いやなやつだと思うことと、殺してしまえという間にはものごく乖離がある。 |
| 死刑反対から戦争反対へ |
| 福島 |
先ほどヨーロッパ評議会とNATO軍のことを話しましたが、ヨーロッパの評議会に行って、こんなに多くの国が死刑を廃止し、かつ「死刑と市民社会は相入れない」「死刑と文明は相入れない」、「なんと野蛮な」という議論が続くわけです。ヨーロッパのなかでも死刑復活の動きがなくはないかもしれないけれども、一応死刑を廃止した後の国だから、そこから死刑がある国を見ると非常に野蛮に醜く見える、ということはとても思ったんです。日本はまだ死刑を廃止していないから向こうが見えないけれども、すでに凶悪事件が起きても死刑を廃止してやっている国から死刑を廃止していない国を見ると、なんと野蛮な、とても不思議な、人道に反すると思うんです。
他方、ヨーロッパの場合、NATO軍とかすぐアメリカの報復を支持する。そこがどうもわからないんです。もし人権とか死刑廃止を徹底すれば、もう少し戦争反対に偏ってもいいのに、フランスなんかバリバリの、中華思想的な、軍国主義的な国家でもありますよね。 |
| 加藤 |
それは筋が通らないよね。筋を通せば、死刑廃止から戦争廃止に行く。 |
| 福島 |
もっと行くと思うんです。国家だからピョンと戦争廃止に行けなくても、武力の行使に関してはかなり慎重であっていいと思うんです。 |
| 加藤 |
実際に難民があるとか、非常に強い人権侵害が行われた、それを止める手段は軍事力を行使するよりしょうがないということで、それを正当化する。「人道のための介入」というやつが戦争する側の論理だけれど、実際に軍事力を使うことで目的が達成された例は非常に少ない。大部分は軍事力を使えば、始める前よりもっと大勢の人が死んで、もっと悲惨な状態になる。でもその結果、人権侵害がなくなるわけではない。イラクだってそうでしょう。あれだけの軍隊で非常にたくさんのイラク側の人を殺したけれども、状態はそんなに変わっていない。イラク内部では人権がより尊重されているわけではないだろうし、破壊だけです。私は戦争反対だから。 |
| 福島 |
加藤さんがおっしゃったので重みがあるかもしれませんが、私がそういう意見を書いたり話したりすると、「じゃあどうやって平和を実現するんだ」と、すぐ抗議の電話やEメールが来ます。死刑の問題はもっと感情的で、「自分の家族が殺されたらどう思うんですか」みたいな抗議がよく来るんです。 |
| 加藤 |
「自分の家族が殺されたらどう思うんですか」というのは、つまり報復主義ですね。 |
| 福島 |
私は自分の家族を殺されたら、その人に死んでもらいたいとは思わない。でも一生かけて考えてほしいとは思います。生きていれば、その人はどこかで考えてくれるかもしれない。「簡単に死なないで、ちゃんと考えてよ」と思います。 |
| 個人の価値は死刑反対差別反対につながる |
| 福島 |
ところで、私は「日本は戦前とどれほど変わったんだろうか」と思うんです。国会議員の多くは二世、三世議員。戦前と戦中の利権の構造をそのまま引き継いでいまもやっているという感じがします。頭の構造も変わらない。 |
| 加藤 |
うん、感受性が変わらない。 |
| 福島 |
この人たちは大日本帝国憲法下で生きているんじゃないかってよく思いますよ。でも命令をしたり決めるのは権力者たちで、本当に傷つくのは普通の人、市民、子どもです。そこが頭にくるんです。軍国主義的な人の上に軍国主義の嵐が吹いたら「自業自得だ」とも思いますが、そうではないんですもの。この人たちが博打を打つことによって、被害に遭うのは普通の人なんですよね。 |
| 加藤 |
人権というのは個人の権利でしょう。人(ジン)は個人なんだ。生存権にしても自由権にしても言論、表現、集会にしてもみんなそうですが、戦前の大日本帝国憲法には個人という考えはない。 |
| 福島 |
人権の考え方がない。臣民の権利です。法律によって制限できる。 |
| 加藤 |
臣民というのはコレクティブというか大勢の人です。人の集まりが臣民でしょう。人権というときの人(ジン)は個人だから、一人です。個人の権利だから、外国人であるか日本人であるかということは問題にならないわけです。その考えが徹底していないんじゃないかと思うんです。外国人も人権があるわけです。実際にヨーロッパの国も、自分の国の国民と外国人とを区別していることがたくさんある。外国人を差別する傾向があるけれども、しかし原則としては人権と言うときはすべての人間です。そのすべての人間という原則はあまり徹底していないんじゃないか。
個人の観念を感じ取ることと、死刑反対ということは絡んでくるし、差別反対が絡んでくると思いますね。
僕は差別というのは普遍的だと思うんです。「人種差別には反対だけれども、男女差別には賛成」ということはありえない。一つの差別を認めるのだったら、みんな差別でつながってくる。また差別に反対だったら、筋が通るためにはすべての差別に反対でなければならないと思うんですよ。それは彼ないし彼女、個人が所属する集団によって評価しないで、基本的に人間の平等ということを押し通す。それが反差別です。例えば男の集団、女の集団、あるいは日本人と外国人という非常に大きな集団から、早稲田大学出身とか慶応大学出身とかの小さな集団まで、すべての差別に対して反対すべきだと思う。そのことと人権・個人を価値の根源として認めるということとは絡んでいると思う。個人の生存、命が大事だ。それは価値の根源だからです。「神がなければすべてが許される」とドストエフスキーが言ったけれど、神がなければすべてが許されるのではなくて、個人を認めなければすべてが許されることになってしまうと思う。一人ひとりの人間の命に対する権威と、謙遜な態度が必要だと思う
んです。これはつまらん男だとかそういうことはあるけれども、しかし根本的にはわからないもの。だから、命には限りない価値があると認めるほかないと思うんだ。 |
| 福島 |
本当に、その通りですね。今日はありがとうございました。 |
| 対談を終えて |
加藤周一さんとお会いしたのは、アメリカでのテロ事件が発生した直後だった。加藤さんがどういう発言をなさるのか本当に興味深かった。対談は戦争と死刑の話、国家による殺人の話になった。
ご自宅近くの喫茶店で加藤さんは、淡々と、あるときは熱を込めて、話をしてくださった。たまに、ちょっと肩をすくめて「おかしいね」という仕草をされるのが、「知の巨人」のイメージとちょっと違っていて、チャーミングであった。
どんな時代も大変な時代だったのかもしれない。しかし、実質的に集団的自衛権を行使し、数年後には憲法改正をしたいという動きが着々と進められ、メディアの多くが戦争を煽っているなかで、当たり前のことをきちんとひるまずしかも説得力を持って言い、軍事力でなく、非軍事的貢献ができる国にすべく、行動もみんなと力を合わせてやっていきたいと切に思っている。(福島瑞穂) |
| ●かとうしゅういち●
文芸評論家、作家。1919年東京都生まれ。東京帝国大学(現東京大学)医学部卒業。医学研究のかたわらヨーロッパ各地の文化を研究。東大文学部講師、ベルリン自由大学、エール大学教授。著作に『雑種文化』『ある晴れた日に』『羊の歌』『加藤周一著作集』など。
月刊社会民主2001年11月号より
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