ホーム オピニオン 最新活動 定例記者会見 国会質問 発言集 マニフェスト

少年法関連

生きる力を育む教育



参議院議員 福島瑞穂
(「法律文化」198号2000年12月号 特集「学校教育と法律」より転載)



 
  参議院議員の福島瑞穂氏は現在、行われている教育改革の議論や少年法改正法案に危機感を感じるという。国会議員として、弁護士として、また親として、日本の教育の状況をどのように見ているのか、また教育をどのように変革すべきかをうかがった。
 

段階的な徴兵制に思える奉仕の義務化


 
―― 臨時国会の所信表明演説で、森首相は来年の通常国会は教育改革国会であるとしています。その叩き台ともいうべきものとして、首相の私的諮問機関である教育改革国民会議が中間報告を発表しています。まずその内容をどのようにご覧になっているか、お聞きしたいと思います。


福島) 一人ひとりの子どもが元気になっていく、自ら自分の人生を選択できる。さらに言えば、何があっても人生のやり直しができると思える。そういう教育へ向けた改革であればよろこばしいことですが、現実にはそれとはまったく違う方向にあるようです。

 もちろん教育改革国民会議の中間報告には評価できる提言も盛り込まれています。たとえばコミュニティスクールなど、教育における地域の重要性に言及しているような部分です。しかし疑問を感じる点も少なくありません。たとえば『豊かな心』としているのはいいのですが、『豊かな心の人』ではなく、『豊かな心の日本人を育てる』と、わざわざ『日本人』ということを強調しているところに違和感を覚えます。また提言の中に『道徳を教えることをためらわない』としています。もちろん道徳を身につけることは必要ですし、それは人権ということに重なる部分でもあります。しかし、それを国が押しつける形にするのはやはりおかしい。21世紀には、さらにグローバリゼーションも進み、多様化した文化や価値観がいっそう必要とされる時代になるはずです。そのような時代を迎えようとする中、なぜ改めて『日本人』とか『道徳』ということを、ことさら強調しようとしているのか。

 とくに疑問を感じるのが奉仕活動についてです。小学校・中学校は2週間、高等学校は1カ月間の集団生活をして、農業や林業、あるいは高齢者介護などをするとしています。また、さすがにこれは検討事項の位 置づけにしていますが、『18歳になったら1年間の奉仕を義務づけることを検討する』としています。検討事項にせよ、こういう方針が出てくること自体、驚きを禁じ得ません。人間は社会の中でしか生きられません。人は生まれてから年をとるまで他人に依存したり、お世話になりながら生きていく、そういう社会的存在であることを知ることであるとか、他人に対する思いやりを育てることは大切ですが、それは一人ひとりの個人が自発的にそう思うようにしていくべきであって、国から説教されて身につけることではありません。ところが今、国家は集団的管理の中で、押しつけて、強制する形で、それを実現しようとしています。道徳という心の問題に国家が踏み込んで行くことは、百害あって一利無しです。

 少年法改正の議論にしてもそうですが、少年が事件を起こせば、『今の子どもは何を考えているか分からない』『モンスターのようだ』と、そのような子どもたちをどんどん切り捨てていこうとする。そして、それ以外の子どもたちは、国家として集団的管理をしていこうとしているのではないか。その考えがグロテスクな形で表れてきたのが、中間報告の奉仕の義務化ではないでしょうか。


―― 『ボランティアの義務化』は、そもそも語彙矛盾だという批判もあります。


福島) 小・中学校の2週間、高等学校の1カ月という時間はものすごく貴重です。それで人格が変わってしまう人もいるでしょう。とくに18歳のときの1年間は人生において本当に貴重な時間です。そのとき、どんな生活をするか、どんな教育を受けるかによって一生が決まってしまうといっても過言ではないでしょう。なぜそのように貴重な時間を公のために義務的に奉仕活動だけをしなければならないのか。日々の生活があって、さらにボランティア活動をやるというなら、まだ分かりますが、生活のすべてを奉仕にするというのはどういう発想なのか。極端に言えば、段階的な徴兵制のように感じられます。


―― 儒教の国である韓国では今も目上の人の言うことが絶対的で、若者は服従しなければならないという教えが行きわたっています。また韓国、台湾には徴兵制があります。日本もその状況と近づいているということでしょうか?


福島) 朝鮮半島は統一に向けての合意が始まったところですが、日本は徴兵制の必然性が無いでしょう。そもそも徴兵制そものもに反対です。

 

大日本帝国憲法と日本国憲法のバトル


 
―― 方法論は別として、教育において私と公のバランスをとることを教えるのは大切なことではないでしょうか?


福島) 私は個人の権利を積分したものが公であると思っています。個人と公は対立する関係にあるのではなくて、公とは個人の権利の集積の上に成り立つものです。そのためにも、個人一人ひとりが生き生きと元気に生きていくことを目指した教育にしていくべきです。ところが今、むしろそれを潰すような形で公が語られています。一人ひとりの人間に価値があるという考え方よりも、公のために尽くせという方向への改革が始まろうとしている。それが現在の国会が迎えている危機です。

 森総理の座右の銘はなんと『滅私奉公』だそうですが、教育改革についても、国会の答弁で『国を思う心を育てる』という主旨の発言をされています。あるいは『教育勅語にも良いところがあった』という発言をする。そういうことは戦後、決して公然とは語られなかったことです。それが公の場で首相自ら語るようになっています。

 日本政府は『こういう規範を持て』と、子どもたちの心の中に踏み込もうとしています。そして、それは教育基本法から、さらに憲法改正まで地続きにつながっていく議論だと思います。戦後、人が国家のために生きるのではなく、一人ひとりが大事にされる社会を目指してきたことが根底から覆されようとしているのです。

 去年の第145通常国会では、日米新ガイドライン(日米防衛協力のための指針関連法)、日の丸・君が代の法制化(国旗・国歌法)、盗聴法(通 信傍受法)、国民総背番号制のコンピュータ化(住民台帳法改正)などの法案がすべて通 りました。さらに衆参両院に憲法調査会を設置する国会法改正も通りました。

 これら一連の立法は国家が個人の心の中に踏み込み始めたことを示します。盗聴法は個人のコミュニケーションを侵害する行為ですし、総背番号制は国家管理に結びつくものです。また日の丸・君が代については、中には大好きだという方もいるでしょうが、自分の思想信条と違うから強制はしないでほしいという個人の権利を侵害するものです。

 少年法の改正にしてもそうですが、今年になって、その流れが、子どもたちをターゲットにするようになっています。このままで行けば、やがて大人も締め上げられることになると思います。


―― 福島先生は憲法調査会に参加されていますが、そこではどのような議論がされているのでしょうか?


福島) 国会議員になって3年目に入ったところですが、つくづく感じているのは、国会というのは大日本帝国憲法と日本国憲法がバトルをしている場だということです。憲法調査会の議論でも強くそれを感じています。第9条をめぐる議論では、今や公然と徴兵制を導入すべきだという主張がなされています。そう主張する議員さんは自分はもう行かなくて済むと思っているのでしょうが(笑い)。

 もうひとつが基本的人権に関する議論です。たとえば『権利ばかり書いてあって、義務が無い』という意見があります。しかし憲法には義務の規定もきちんとあります。また『公共の福祉※1による権利の制約が弱い』と言う意見があります。さらにもう一歩突っ込んで、『公共の福祉では生温い。公共の福利で、もっと個人の権利を制限できるようにすべきだ』という意見も出てきています。それは一歩間違えると、大日本帝国憲法が『法令によって権利は制限できる』としていたことに限り無く近づくことです。大日本帝国憲法下、その規定によって新たな法律が次々に作られて、個人の権利が侵害されていったわけです。それではいけないというところから戦後が始まったはずですが、今、時代が戻ったように、国会の中で、国権か人権かという対立が明らかに起きているのです。

 

改革は地方分権の中で実現すべき


 
―― 教育に関して言えば、親が忙しくなって、育児や教育に時間をさく余裕が無いというように、公が教育の方法を押しつけざるを得ない経緯があるのではないでしょうか?

福島) その必要があるとしても、それを国家の号令のもとにやるのが良いのかということです。すべての人間は生きて行く権利を持っているし、自己実現の権利を持っている。そして、生きていて良かったと思える。それが人権です。それは一人ひとりの個人から出発するものであって、国家という視点での改革によって、実現できるものではありません。国家の視点は、自分自身で考えながらゆっくり変わっていくとか、同じ目線で一緒に考えていくというものではないわけです。


―― では、どのような方法で実現すべきだと思われますか?


福島) やはり分権という形の中でやっていくべきだと思います。たとえば地域の大人の話を聞く機会を持つこともいいでしょう。私自身、ある中学校で『働くこと』というテーマで話をして欲しいというので行ったことがあります。また地域の中で、開かれたコミュニティスクールを作っていく方法もあるでしょう。

 先日、横浜市の中学校に通っている生徒の保護者の方にうかがったのですが、その中学校では土曜日の午後、学校に親を招いて、ご自分の仕事について生徒に話をしてもらっているそうです。大工とかパイロット、弁護士、寿司職人など色々な職業の方に仕事のことを話してもらう。子どもにとって労働というのは抽象的で分かりにくいでしょう。かろうじて自分の親のことしか分からないでしょうが、色々な職業に就いている方から直接、仕事の話をうかがうことは、ためになるし、おもしろいことだと思います。それによって子どもたちに、世の中には色々な価値観や考え方があり、さまざまな働き方や生き方が可能であること、決して人生は捨てたものではないこと、そのようなメッセージを伝えられます。いきなりすごいことをしようとしなくても、そういうことから始めればいい。心ある親や先生がやろうとさえ思えば、簡単に実行することができます。

 ボランティアにしても、自分が選択して始めたことでなければ、決して身につきません。私にも公立小学校に通 っている娘がいますが、近所の老人ホームに訪問していました。それは自発的な気持ちから出てきた行動です。強制しなくても充分できます。それを1年間の義務化ということを言い出すのは、どう考えてもおかしい。

 私が住んでいる川崎市では今、子どもの権利条例を作ろうとしています。そういうとき、学校の先生や地域の人など、色々な人で協議会を作り、そこに子どもも参加して一緒に考えていくという方法もあるでしょう。

 そういう形でやっていくことでしか道徳や人権感覚は身につきません。教科教育も同じですが、勉強は嫌々ながらやっていると、全然おもしろくないし、身につかないものです。好きなことなら一生懸命打ち込むし、身につくものです。


―― いわゆる「学級崩壊」という現象があります。生徒が嫌なことをがまんしなくなり、授業が成り立たないということですが、その現象についてはどのようにお考えですか?


福島) 教師が権威をかさに威張ろうとしても無理です。もう見切られているわけですから。私もある大学で授業をしていますが、学生がおもしろいと感じる授業をするしかないわけです。その人なりの魅力などをもとに、何か伝えようとする中で、人間関係を作っていくしかないでしょう。それは夫婦の関係にしても、あらゆる人間関係の局面 で同じです。権威的に『聞け』と命令しても誰も聞きませんし、面従腹背ということになるかもしれません。それが現実だと思います。

 

少年法の立法事実に対する疑義


 
―― 近年の凶悪犯罪と、少年法の改正について、どのようにお考えでしょうか?


福島) 私はそもそも本当に少年法改正の立法事実があるのか疑義を持っています。今日も弁護士たちと少年法改正についてディスカッションしてきたところですが、統計的にいって、少年による凶悪事件は増えていません。人口比から見ても、増加しているとは言えません。また動機が不可解な残虐な事件が増えているという傾向を指摘する方がいますが、過去に起きた少年の事件を調べてみると、神戸の事件のようなケースもあるのです。突然、人間が残虐になったわけではありません。

 実は法務省もそういう認識を持っています。法務省矯正局が作っている『現代の少年非行を考える』という小冊子があります。非常に良い内容のものです。その小冊子の中で『少年院、少年鑑別所の現場から』というところに、こういう記述があります。 <社会の変化を背景として少年非行は確かに変化しつつある。しかしそれは性格の歪みが著しい、われわれにとって理解不可能な子どもたちが生まれつつあるのでは決してなく、年齢相応の共感性や対人関係の結び方が身についていない。端的にいえば、精神発達の未熟な少年たちが増えているのだということになるのではないでしょうか。そして、そのように子どもたちが変化したとしても、その働きかけの本質的な部分は変わらない。それは人と人とのつながりを通じて、彼等に対して自分が必要とされている実感を持たせるという、ある意味では当たり前のことを焦らず地道に行うことであるといえるのではないだろうか>

 これは本当にその通りだと思います。また法務省では、非行をふたつに分けています。ひとつは閉じこもって、誇大妄想的になってしまう。幻想がふくらんでしまって、現実との接点が無くなってしまったケース。もうひとつは事件を起こした生徒がいじめられっ子だったケースです。注意した先生を人の面 前でナイフで刺すという事件がありましたが、いじめられてきた恐怖があるために、他人が自分のことをどう見ているかが極めて重要で、そのため引っ込みがつかなくなるというものです。このような表現になっています。 <これらの非行はいずれも他の教師や生徒が慰安する日中の時間帯に行われる点に特徴があり、暴力は被害者だけに向けられたものではなく、周囲の視線をも意識しての行動であることがうかがえる。つまりこういう過度の暴力をふるうことで周囲をびびらせて圧倒し、その反応を確認するという意味があり、それは同時に自分を無視するな、馬鹿にするなという自己主張であるとも理解できる。そのためにはことさらに虚勢を張り、周囲を唖然とさせるような強気な自分を誇示することがぜひとも必要であったと解される。また彼等の多くは学童期に陰湿ないじめを受けており、いじめの被害に遭わない自衛策として、いじめる側の少年と友好関係を結ぶという適応手段を身につけることもある>

 やはり現場は分かっていると言いますか、私はこのケーススタディの分析は非常に的を得たものだと思います。つまり少年法を改正して、16歳を14歳に下ろして刑事処罰すればいいとか、14歳でも刑務所に送り込んで規律を教えるという方法では問題は解決しないということだと思います。

 実は驚くべきことに、野党欠席で行われた衆議院の法務委員会の議論でも、少年法改正に賛成している国会議員自身が、改正で非行が減るとは思っていないという主旨の発言をしているわけです。少年法改正の真のポイントは『規範意識』にあるのではないでしょうか。事実、少年法をめぐる国会の議論では、『規範意識』という言葉が頻出します。『今の子どもたちは良い悪いの区別 がつかない』と……実は国会議員にもそういう方が多いわけですけれど(笑い)。『そういう子どもたちに、どのようにして規範意識を植えつけるか』というところに重点を置いた議論が行われているように感じます。

 

余裕を無くしている大人たち


 
―― 世論としても、少年法改正の必要性に同意する人が多いと思われますが、その理由について、どのように思われますか?


福島) 子どもたちが立ち直ることに付き合えないほど、今の大人たちは余裕を無くしているということかもしれません。不況が続いて、倒産やリストラが多い時代になり、ストレスやプレッシャーが大きくて、他人に対して優しくなれないし、他人に容赦しない気持ちになっているようです。たとえば行政は『野宿者』対策として、排除することしかしていません。それを見ている子どもたちは、同じように排除の対象と見るか、一歩間違えれば自分もホームレスになるかもしれないと、一種の抑圧異常的になる。その結果 、社会が差別している人間を対象として鬱憤をはらすことで、自分の優位性を確認しようとするとか。大人たちが個人を大事にせず、排除したりしている。実は子どもたちの行動はその反映でしかないのだけれど、大人はそれを見てギョッとするだけで、事態にうまく対応できていないのではないでしょうか。

 先日、バスジャック事件で切りつけられた女性の被害者が国会で話をされたのですが、実はその方にも不登校の子どもがいらして、その少年を見たとたん、すぐ不登校だと分かったそうです。そして、自分が死んでしまったら、この子を殺人者にしてしまうと、一生懸命腕を上にあげて、流血しないようにしていたそうです。そういう意識を持てる大人がどれだけいるのかということです。

 また私は少年法改正論議を見ていると、大人の男のヒステリーのようにも見えます。私はある意味で、女性と子どもは似ているのではないかと思います。『女のくせに』とか『女らしくしなさい』と言われるのと同じように、『子どものくせに』とか『子どもらしくしなさい』と言われる。少年による凶悪な非行が起きると、男は驚いて、『子どもらしくない』と思うけれど、考えてみれば、大人のほうが保険金殺人など、さらに手のこんだ、悪質な犯罪を山のように犯しているわけです。自分たちの考えに合わない子どもたちだと勝手に思い込んで、それを対象にして憂さ晴らしをしているように見えます。

 『規範意識を植えつける』とか、『国を愛する心を育てる』『1年間の奉仕を義務づける』、あるいは『滅私奉公』や『教育勅語にも良いところはあった』という森首相の発言も、全部そういうところにつながっているのではないでしょうか。


―― 少年法を議論する法務委員会で、神戸の事件と山形のいじめによるマット死事件の被害者の父親が出席して発言されています。被害者側の権利について、どのようにお考えですか?


福島) 少年法の問題と犯罪被害者救済の問題が整理されていないように思います。やっと犯罪被害者救済法ができましたが、内容はまだ不充分です。刑事保証もされなければ、カウンセリングもありません。通 知も報告もしない。いわば被害者側は放っておかれるわけです。そのことに対して怒りを覚えられるのは当然です。

 少年法の改正に反対することは被害者の人権を侵害しようとすることではありません。弁護士は被疑者・被告人や事件を起こした少年の権利ばかりを言っているわけではありません。当然、被害者側のこともたくさん扱っているわけです。被害者の人権と被疑者・被告人の人権は両立しうるものですが、今それがあたかも対比のように形で語られていることはおかしいと思います。

 

「男らしく」というプレッシャー


 
―― 不登校が増加しています。悪質ないじめによる事件も後をたちません。子どもはどのような状況に置かれているとお考えですか?


福島) 私にも子どもがいます。今はとくに何の問題もありませんが、一歩間違えれば不登校になるかもしれないし、もし学校が違っていたら、いじめに遭ったかもしれない。親はみんな不安を抱えつつ子育てをしているわけです。子どもには、もっとプレッシャーがかかっているはずです。子どもたちは家庭と学校という、ほんの一部の世界しか持っていませんから、ものすごく窮屈な思いをしているでしょう。本当は中学校や高等学校の受験で人生が決まってしまうわけではないのだけれど、成績で輪切りにされるようなことがあったり、中学校は内申書があって、それで行けるところが、ふり分けられてしまう。子どもたちはしんどい思いをしているし、また将来、自分はどうなってしまうのだろうと漠然とした不安を抱えているのでしょう。

 とくに男の子は、『男らしくしなければならない』というジェンダーバイアスにも苦しんでいるのではないでしょうか。

 国会に『チャイルドライン議員連盟』という組織があります。衆議院議員の保坂展人さんが事務局長をしていて、私も参加しているのですが、電話相談をすると、女の子は泣きながら電話をしてきたり、愚痴をこぼしたりする。でも男の子は何も言わず、黙って死んで行ったり、いきなり人を刃物で刺してしまったりする。それはお父さんの姿に似ているように思います。大黒柱とされる父親がリストラされたり、稼業が不振に陥ってしまうと、自殺してしまうことを思い起こさせます。

 幼いころから『男らしく』することが求められ、『良い学校を出て、良い会社に入らなければ駄 目だ』と言われ続ける。地元で一番良い学校を出て当然というような外圧は大人が想像している以上に重くのしかかっているのではないでしょうか。バスジャックの男の子にしても、第一志望の県立高校には行かずに、第二志望の学校に入ったけれど、すぐにやめてしまって、あとは引きこもりになったと報道されています。

 私の娘が神奈川県の公立小学校5年のとき、クラス全員で『将来』について書いた文集を見たのですが、男の子たちは『横浜国立大学に行きたい、それが無理なら横浜市立』とか『三世代同居の家を建てる』などと書いているわけです。それを見て、親が考えている以上に、その期待をプレッシャーとして受け止めているのだと思いました。もちろん親が毎日、『いつか三世代住宅を建ててくれ』と口にしているわけではなくても、内心でそのように願っていると、それが子どもに伝わっているわけです。

 今、女の子も男の子もほとんど同じようになっている面もありますが、それでも『女の子のくせに』と言われる差別 を受けている反面、スカートでもズボンでもいい。多少翔んでいても、『個性』と言ってもらえるし、色々な生き方が認めてもらえる。無職でも『家事手伝い』とか『就職差別 があるから』『自分探しをしている』といくらでもごまかすことができる。しかし男性の場合、違います。たとえばそういう立場で罪を犯せば、『無職男の犯行』と『世間』に糾弾されるわけです。

 良い学校に入れ、良い会社に行け、定職を持てという親や親類、教師、『世間』からのプレッシャーは男の子により強くかかっていると思います。17歳の男の子がキレやすいとするなら、色々な要因があるでしょうが、そのようなしんどさが影響しているのではないかと思います。


 

生きる力を身につけるための教育


 
―― 21世紀の教育の在り方はどのようにあるべきだと思われますか?


福島) エンパワーメント※2、つまり生きる力をつけるための教育に変えて行くべきです。今は教育を受ければ受けるほど、子どもたちは『自分は駄 目だ、できない』となってしまう面があるのではないでしょうか。そうではなくて、教育を受けることによって、子どもたちを元気にしていくべきだと思います。

 エンパワーメントについて、アジア女性基金※3の代表をされているイリー・ヘイザーさんが四つの定義をされています。

 ひとつ目は『自分で自分の価値を認める権利』、つまり自分で自分のことを大事だと思う権利です。

 ふたつ目は『選択する権利』。これは『リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する女性の健康/権利)』にも関係することですが、子どもを生むか、何人生むか、いつ生むか。あるいは夫婦同姓か別 姓にするかなど、どういう人生を望むか主体的に選択できることです。

 三つ目は『家庭の内外において、自己の生活をコントロールする力』です。つまりあなたの親や先生があなたの人生を決めるのではなく、あなた自身があなたの人生のプロデューサーであり、かつシナリオライターで、ディレクターで、主演女優・男優であるということです。また会社に入っても、嫌な上司はいるでしょう。そのようなとき、どうやって人間関係を変えていくかということです。

 四つ目は『地球規模で公平な秩序を創造する能力』。これは南北問題、環境問題すべて入る概念です。

 その四つはそれぞれ独立しているのではなく、関連性を持ち、循環するものですが、私はその中でももっとも大切なのは、ひとつ目の『自分で自分の価値を認める権利』だと思います。他の人のために何かをしようとしたとき、あるいは社会の問題、環境問題に関わるときも、まず自分で自分のことを大事だと思えることから始まります。

 ですから、21世紀を担う若者への提言をするなら、『あなたはあなたでいい』ということを強調したいですね。あなたには他人には無い絶対的な良さがあるから、自分で自分のことを大事だと思えるよう、自分が人生の主人公になっていけるように努力してほしい。それを伝えることが大切だと思います。

 それを伝えていくためには、そもそも大人の側が自分で自分の価値をどれだけ認められるのかということがあります。そして、それをどのように子どもに伝えていくのか。子どもに『これがあなたの幸せだ』と押しつけたところで、Aの幸せは必ずBの幸せではありませんから、合わないかもしれないし、窮屈かもしれない。その子の良さを引き出していくには、やはり手作り的にやっていくことです。一人ひとりの子どもに、あなたにこんな良いところがあるということ、色々な生き方があるということ、人生はいくらでもやり直せるということを教える。そして自分の頭で考え、自ら選択し、自分の言葉で語れるようにすることです。

 

学校で法律を教える意義


 
―― 文部省も教育改革のキーワードのひとつに『生きる力』を挙げています。


福島) 先日、スウェーデンの社会科の教科書を見ました。非常におもしろかったのですが、とくに興味深かったのは、『あなたは殴られる必要はありません。殴られた場合、ここに電話できます』と、赤十字の電話番号が書いてあることです。確かにその情報を必要としていたり、それによって救われる子どもがいるわけです。また麻薬の話も出てきます。犯罪に巻き込まれる子どもの話も書かれています。私たちが住んでいる社会はきれいごとだけでなくて、確かに問題はあるけれど、それをどうすればいいかを教えている。

 それに比べて、日本の教科書は本当におためごかしです。憲法には基本的人権があって、三権分立があるなどと抽象的に覚えこませるだけです。建て前だけで、本当に生きていくための力をつけるものになっていません。世の中に問題があることは事実だけれど、どうやって力をつけて、元気に幸せに生きていくか。そのようなことを教える内容に切り替えるべきです。あたかも社会には何の問題もないかのごとく、きれいごとだけ教えるのは不親切です。憲法で法のもとの平等を保証しているから、女性差別 はないと教えながら、大学を出たとたん、就職先はないと、頬を打たれるような思いをする。差別 があることを、ことさら強調しなくてもいいけれど、『かつて女性はとても差別 されました。それを改善するために、こういう法律や条約があります。こういう面 では改善がはかられています。こういう面ではさらなる改善が必要です』という教育をしていけばいいと思います。


―― 生きる力ということでは、学校の授業で法律についてもっと具体的に教えるべきだとは思われませんか?


福島) 法律によって、あなたにはこういう権利が認められているということを教えてあげることは大事ですね。たとえば高校生に労働基準法を教える。高校を出て会社に入ったら、上司は『君、明日から来なくていいよ』と言えない。解雇予告は1カ月前にしなくてはならないと。また子どものために児童虐待防止法があるから、嫌なことは嫌だと言っていい。女性であれば、雇用機会均等法や育児休業法があり、今、女性に対する配偶者等からの暴力防止法を超党派で国会で作っているということ。また民法についても必要なことをきちんと教えていくことです。夫のものは夫のもので、妻のものは妻のものだから、自分の財産の確保をきちんと考えるべきだとか。悪い男にひっかからないようにする。万一ひっかかったら、ちゃんと別 れて、ストーカーされないようにする。そしてきちんと立ち直る。それを助けるために法律があるから、色々なことがあっても、いくらでもやり直せることを教えたほうがいいですね。だから女の人生、まんざら捨てたものではないよと(笑い)。

 憲法や法律は決して六法全書や判例集に閉じこめられているのではなく、まさに生き物のようなもので、あなたがとんでもない目に遭ったとき助けてくれるものであり、あなたが元気に生きていくことを応援するものだということ。決して生き方を誘導するのでなく、あなたにはこんな権利があり、こんな義務があり、こんな生き方ができます。そういうメッセージをうまく伝えることができればいいと思います。

 


※1 公共の福祉
日本国憲法では「公共の福祉」という言葉が、第12条「自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止」、第13条「個人の尊重・幸福追及権・公共の福祉」、第22条「居住・移転及び職業選択の自由、外国移住の自由及び国籍離脱の自由」、第29条「財産権」、以上4カ所出てくる。



※ 2 エンパワーメント
「権利/力を持つこと」。クローバルフェミニズムのキーワードのひとつ。社会が女性に対して持つ認識、役割の決め方を変えることでジェンダーの在り方に影響を与えること。



※3 アジア女性基金
「女性のためのアジア平和国民基金」。いわゆる従軍慰安婦問題を解決するために1995年に設置された組織。



参議院代表質問(少年法)



2000.11.8. 福島瑞穂


私は、社会民主党・護憲連合を代表して、少年法等の一部を改正する法律案について、質問をいたします。



1.まず、そもそも少年法改正をするための立法事実があるのでしょうか。

少年犯罪の増加、凶悪化、低年齢化が言われています。

しかし、これは、全く事実に反しています。

戦後の刑法犯の少年検挙人員と人口比の増減を見ても、少年犯罪の数は、1983年頃の戦後第三のピークの時から徐々に減少傾向を示しており、1996年からあがり始めていますが、それでも現在は第三のピーク時よりまだ少ない状態です。

また、統計上、凶悪化・低年齢化はありません。昨年の少年犯罪の発生件数は、一昨年と比べて、6.3%減少しました。凶悪犯罪も、30年前に比べて約7割も減っています。

立法事実がないのですから、改正の根拠はありません。今回の改正案は、最近発生した少年の残虐犯罪に便乗し、世論を誘導するものではないでしょうか。



2.つぎに、少年法の厳罰化で、はたして少年犯罪が減るのでしょうか。

衆議院の法務委員会において、「犯罪抑止効果を期待して法律改正をするのであれば、根拠となるデータはあるのか」という質問に対して、法務大臣は、「総合的なしっかりした調査の結果、何をやればどういう効果がある、というデータはない」と答弁をされました。

少年法改正によって、犯罪が抑止される、減るということは何ら立証されていません。

アメリカもドイツも少年法厳罰化のなかでむしろ少年犯罪は増加しており、少年法の厳罰化によって少年犯罪を抑止できないことは、諸外国の例がまさに示しています。にもかかわらず、なぜ日本で今の時期に少年法の厳罰化なのでしょうか。



3.また、「規範意識の強化」ということも、立法理由にあげられることがあります。

規範意識は、厳罰化しなければ生まれないものなのでしょうか。



4.今回の少年法改正案は、立法の根拠となる立法事実もなく、犯罪の抑止力も期待できず、さらに、少年法の目的である「少年の健全育成を期し、非行のある少年に対して、性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行なう」との少年法一条との法的整合性も全くない、百害あって一利なしのものです。

その理由として、まず、16歳から14歳への刑事処罰年齢の引き下げについて伺います。

14歳といえば、義務教育を受ける年齢です。義務教育を受けるべき子どもを刑務所に送って、どうするのですか。子どもの教育を受ける権利はどうなるのでしょうか。

改正案は、刑務所への収容が決まった少年も、義務教育年齢の間は、少年院におくことができるようにしています。

しかし、その場合、少年の法的な地位・権利義務は受刑者のそれになるのでしょうか、それとも少年院在院者のそれになるのでしょうか。

それに、少年は義務教育年齢を過ぎたら、今度は少年院から刑務所に送られるのでしょうか。その少年への教育・更正プログラムはどうなるのでしょうか。

全く問題意識のない改正案ではないでしょうか。

14歳引き下げは、義務教育の放棄であり、少年院に入れる事も大きな混乱を生みます。

少年達が残虐に見えるのは未熟なためです。刑務所は、懲役を課すところであり、14歳15歳の少年を刑務所に入れても、心の発達は遂げられません。

なぜ年齢の引き下げなのでしょうか。



5.次に、原則逆送規定についてお聞きします。

現行法は家裁が「刑事処分が相当」と判断すれば逆送できる仕組みを取っています。

今、なぜ原則と例外を逆転しなければならないのですか。

全く理由がありません。

原則逆送を採用すると、いわゆる犯罪少年は成人以上の不利益な手続きを強制される事になります。

今回の改正で、成人であれば一回ですむところを、少年は家庭裁判所の審判で検察官立会いのもとに徹底的な審議が行われ、もう一度成人と同様の刑事裁判を受けなくてはなりません。

原則逆送の考えは、少年法一条を著しく変容させるものです。少年法一条との整合性はあるのでしょうか。

9月7日に発表された「検察統計年報」によれば、昨年の少年事件数は減少し、逆送事件も減少しています。この事実と原則逆送はどう結びつくのですか。

原則逆送を認めなければ社会防衛ができないほど凶悪な少年犯罪が多発し、犯罪少年が保護処分では矯正不可能なまでに人格を荒廃させているのかどうか、感情論ではなく客観的な資料に基づいて立法事実の有無を検証すべきです。



6.次に、少年審判への検察官の関与についてお聞きします。

これは、現在の少年審判手続に、構造の全く異なる検察官を関与させるもので、木に竹を継ぐものであり、少年法の基本構造を変更するもので、許されないと考えますが、いかがお考えでしょうか。



7.私たちは、社会の中から犯罪を減らしたい、と思っています。その為には、犯罪を行なった人に、きちんと変わってもらう必要があります。少年の場合は、特にそうでしょう。一生閉じ込めておく事はできないのですから、きちんと変わって出てきてもらう必要があります。

そのためにも、被害者を真正面にすえて、加害少年が被害者と向き合い、事件の重大性や影響を少年が直接自分で認識し、受け止め、真摯な謝罪・真の更正がなされるシステムが必要なのではないでしょうか。

少年が被害者と向き合い、被害者から見た事件の重大性や影響を直接自分の目と耳で受け止めるとき、心からの謝罪や自責の念が生まれてきます。被害者が、少年の実像を知り、真摯な謝罪を受けることは、被害者にとっても救いになることもあります。

実際のところ日本では、加害少年が被害者の声を直接聞く事はごくまれにしかありません。これに対して世界各国では、被害者と加害者が直接向き合って対話するプログラムが急速に広がっています。

このような考え方、リストラティブジャスティス、いわゆる回復的司法によって、犯罪を抑止しようというのが、世界の趨勢です。

2000年4月、国連の犯罪防止会議においても、リストラティブジャスティスをもっと広めようという決議がなされました。

官房長官、及び法務大臣は、リストラティブジャスティスについて、どのように検討していらっしゃるでしょうか。お聞かせください。



8.衆議院の法務委員会で、少年院の子どもたちに篤志面接委員として会ってきた参考人は、「子どもが変わろうとするのは、大人が自分のことを考えてくれると思えるときである」と述べています。その通りです。

立法者が、子どもたちを悪い子どもといい子どもの2つに分け、悪い子どもは救いがないので切り捨てていくと宣言をしているのが、今回の少年法改正案です。今回の少年法改正案は、立法理由のない大人のヒステリーであり、立法者たちの子どもたちへの絶縁状です。みなさんの多くは、お父さん、お母さんでもあるでしょう。子どもたちと接すると子どもたちはゆっくりとしか変われないこと、子どもたちが愛されたい、認められたい、大切に扱って欲しいと思っていることが本当におわかりだと思います。改正案は、子どもたちがゆっくり変わっていくことを許さない愛のない改正案です。

改正案が仮に成立すれば、少年犯罪が増加していくことは火を見るよりも明らかです。子ども達はじっと見ています。厳罰化ではなく、リストラティブ・ジャスティスをとを訴え、私の質問を終わります。



参考資料
日弁連少年司法改革対策本部 「少年法問題に関するQ&A」
社会民主党 政策審議会 「「少年法改正」と少年非行対策に関するメモ」


少年法改正について


2000.9.20 社会民主党 内閣・法務部会
●少年の凶悪犯罪が増えているのか

 法務省発行の検察統計年報によれば、昨年、全国の地検が捜査した少年事件の容疑者は27万9774人で、前年より6・3%減少しました。年齢別の構成比は14〜15歳28%、16〜17歳35%、18〜19歳37%で、それぞれ8・6%、9・4%、2・9%の減少です。少年事件の容疑者は長期的に漸減の傾向にあり、急増している事実はありません。

 とくに少年の凶悪犯罪は大きな流れで言えば激減しています。総数のみならず、人口比でも明らかです。殺人、強姦、放火など凶悪犯計では、1966年、7453件(0.55人 ・少年千人あたりの件数)でしたが、97年においては、2495件(0.25件)です。少なくとも統計上は、少年による凶悪犯罪が増加したという事実はありません。

 また、少年の凶悪犯事件の年齢区分を年ごとにみると、1997年は中学生に相当する年少少年(14歳、15歳)の事件が増えていますが、86年当時の比率と比べて、年少少年の比率が目立って増加しているわけではありません。すでに刑事罰の対象となっている中間少年(16、17歳)の比率が高いのが実態です。

 「少年犯罪が凶悪化している」「犯罪が低年齢化している」から「刑事罰適用年齢を引き下げて14歳、15歳の少年にも刑事罰を」という議論の前提について、冷静に検証する必要があります。



●年齢区分の見直し

・刑事処分可能年齢の引き下げ(16歳から14歳への引き下げ)

 刑事処分可能年齢を引き下げることは、少年の健全育成を期す少年法の理念の後退であり社民党として強く反対しています。

 少年法は「子供版刑訴法」ではなく、犯罪を罰するための刑法やその手続きを定めた刑訴法とは全く異なる理念でつくられています。未熟な少年の犯罪は周囲の環境や大人社会の影響をストレートに受けてるため、そのすべてを少年本人のみの責任に帰することはできません。犯罪を犯した少年を単に厳しく罰するよりも、主に教育福祉的対応を行ない再犯を防ぎ成長を保障することが、結果として社会の安定を保つことにつながるのです。厳罰化には大きな効果のないことは外国の例でも明らかで、厳罰化よりもケースワーク的機能を強化することこそが必要なのです。

 現に現在の少年法の下で少年犯罪は減少しており、「14、15歳の凶悪犯罪が相次いでいて、刑事処分を適用させることが緊急の課題」という前提そのものが誤っているといわざるを得ません。

・少年法の適用年齢(20歳未満から18歳未満への引き下げ)

 当初、与党内で少年法の適用年齢を18歳に引き下げるという議論があったようですが、結局、現行の20歳未満のままとなる模様です。私たちも少年法の適用年齢を下げる必要はなにもないと考えています。

 なお、少年法の適用年齢を引き下げの議論の際には、新たに少年法による保護を失い成人として罪を償うことが求めようという18〜19歳の人に対しては、選挙権などの成人としての権利が与えられることが大前提であることを指摘しておかなければなりません。



●原則逆送問題

 改正案は重大犯罪を犯した少年を成人と同様の刑事裁判にかけるため、原則として家庭裁判所から検察官へ送致(逆送)するものとなる模様です。特定の犯罪に対象を定めるとはいえ、家庭裁判所の判断抜きに検察に送致することを原則とすることは、少年法の理念である保護主義を骨抜きにするもので絶対に認めることは出来ません。現行通りに逆送するかどうかを家庭裁判所の判断にゆだねても、凶悪犯罪の場合は現在も逆送されていますから何も問題ありません。現行通り家裁の判断を最優させるべきです。



●犯罪被害者の意見表明権

 犯罪被害者やその家族からの意見表明権を認める規定が設けるとのことです。確かに、現状の犯罪被害者が真実から遠ざけられ、審判結果に不満を持ったり、少年司法に対する不信を募らせる例は多く、犯罪被害者対策の整備は急務です。ただし加害少年のプライバシーや更正への配慮も欠かすことはできず、少年法の理念を前提に慎重に検討しなくてはなりません。運用上解決できる課題も多く、拙速に少年法自体の改正につなげるべきではありません。



●裁定合議制度の導入

 裁定合議制度をなんら制約なく導入することは、少年審判のケースワーク的機能を後退させる危険が強く拙速に導入するべきではありません。複数の大人に対して少年が十分な主張が出来るのか慎重に検討するべきです。



●検察官関与の導入と検察官への抗告権の付与

 少年法が、非行を犯した少年を教育的に支援しその成長と更正を保障するために存在し、保護主義の見地から検察官の関与を否定していることをあらためて認識することが必要です。検察官関与の導入や検察官への抗告権の付与は、少年法の精神に反するものであり絶対に認められません。草加や綾瀬おける少年事件での無罪判決を見るまでもなく、自己弁護の能力が未熟な少年に対して検察官の関与を強めれば、冤罪事件が続出する危険があります。



●観護措置期間の延長

 「少年を収容しなければ審判に著しい支障を生じるおそれがある場合」とのあいまいな理由で観護措置期間を延長できることとすることは認められません。成人の司法手続きを見ても捜査の都合等で長期にわたって拘留されるなど被疑者の防御権が恣意的に犯されることがしばしばであり、罪を裁くことが目的ではない少年司法においては、いっそう厳密な対応が必要であることは言うまでもありません。



●少年法の理念に沿った少年犯罪対策を

 少年法の基本理念は少年が健全に成長するために教育し保護することにあり、こどもの意見表明権を尊重し非行を犯した少年にたいしても子どもの特性に十分配慮した手続きを保障すべきです。現在検討すべきなのは国選付添人の全面的導入、少年自身の意見表明の機会の拡大などであり、社民党は制度運用を少年法の精神に合致したものとしていく取り組みこそが必要と考えています。


審議経過
10月6日 衆議院法務委員会 野党欠席のまま法案の趣旨説明
10月10日 審議開始
10月13日 参考人質疑
10月17日 参考人質疑
10月24日 審議
10月25日 審議
10月27日 参考人質疑
10月31日 法務委員会で強行採決後、本会議へ緊急上程し、採決、可決。
11月8日 参議院本会議代表質問、法務委員会趣旨説明
11月9日 参議院法務委員会で本格的審議開始

 



 |  福島みずほ後援会サイト  |  メールマガジン読者募集  |  国会へ行こう会会員募集  |  学生ボランティア募集
 |  カンパ受付  |  ご意見・ご質問  |  連絡先  |  サイトマップ

   Copyright © 2004 Fukushima Mizuho. All Rights Reserved.